西仙台ハイランド団地(青葉区新川佐手山)その2
前回は西仙台ハイランドの中心部を紹介したが、今回はそのエリアと道を挟んだ北側のエリアを紹介していく。西仙台ハイランド団地の住所にまとまな地番は付されていないため、何丁目という概念がないのは当然として、「5-○○○」、「29-×××」といった地番ではどこを指しているかもよく分からず、この北側のエリアは東北電力の電柱札に合わせて仮に「佐手山北」と表記していくことにしたい。
まずは電柱札のチェックである。前回の記事で「左」手山となっていた線路名がここでは「佐手山北」となっていることが確認できた。
この電柱は団地手前の開けた場所に位置し、何と木柱の支柱が現役である。かくいう私の実家付近でも木柱を見かけることはあるが、住宅地で生存しているのはやはり珍しい。よく見ると電柱街灯がLED灯に更新されており、親子孫三世代同居ともいえる風景となっていた。木製の支柱は老いてなお健在、本柱のコンクリート柱を支え、その先に最新のLED灯がか細くぶら下がっているというまさに現代の縮図である。2011年の東日本大震災を機に盛り上がった省エネ志向の再燃により、LED更新は寝た子を起こしたかのごとく一挙に進んできたのだが、この限界ニュータウンにもそのさざ波が押し寄せてきたことは実を言うと喜ばしい兆しである。団地の街路灯はその支払や球切れ後の更新が自治会の運営によってなされているが、自治会があまり機能していなかったり、そもそも自治会が結成されていない場合は放置されがちである。そういった中で、過疎にも関わらず西仙台ハイランド団地はLED更新も掲示板の活用も継続されており、その様子は自治会運営が健全に保たれている証左といえるのである。ちなみに、東北のLED灯はそのほとんどをパナソニックと東芝が席捲し、次いでコイト電工や岩崎電気が後続集団といったところだが、この機種はパナソニックのNNY20348LE1か、その類似機種と思われる。細くすっきりとしたデザインが特徴である。
ゴミ集積場はこの電柱が立つ1箇所のみで、他の場所にもその痕跡はあったが使われている形跡はなかった。その使われていないゴミ集積場をよく見ると細かな金属片や缶瓶の残骸が放置されており、より大きなゴミが不法投棄され始める一歩手前といった状態である。また、空き家のそばに海から拾い上げてきたかのようなサビだらけの廃車が捨て置かれているところもあり、ただでさえ殺風景な街並みに一層荒廃した雰囲気を醸成してしまっている。
団地内は下水がなく側溝排水となっているが、佐手山北はあまり手入れがなされていない様子で、更地と空き家付近の側溝は完全に埋没している。こうなってしまっては部分的に浚っても意味がなく、排水能力はほとんど失われている。数少ない住民はもはや駐車場に車を停めることもなく、好き放題に路駐しているのが気に掛かった。
空き家の荒廃は言うまでもなく深刻で、破れた障子もそのままになっている。売り物件の看板が立つ更地はもはや森林である。
団地の奥側へ進むと、徒歩での通行すらもできなくなった区画が存在し、一部の愛好家は山奥の旧道・廃道を苦労して訪れているようだが、この住宅街に行けばその興趣が手軽に味わえるのである。この区画は西側を上がった高台に位置し、東と南へ山々を見渡す眺めのよい家を建てることもできたはずだが、分譲が全く進まなかったために放置されたものと思われる。
この佐手山北は、道路向かいの団地中心部と比べなぜここまで人気がなく荒れ果ててしまっているのだろうか。それは当地を訪れるとすぐに勘付くのだが、まずそこかしこが急峻でひな壇造成となっていること、北・東・西の深い雑木林が眺望を阻害していることが致命的であったと思われる。樹々に囲まれ別荘地のような雰囲気を多少味わえるものの雄大な大自然というにはやや中途半端で、結局のところ選ぶべき理由が何も無かったのだろう。このような杜撰な造成によって、佐手山北の北東に広大な開発放棄地が生み出されてしまったのである。
この佐手山北を訪れる前にGoogle Mapをチェックしていた際、ドーナツ状にくり抜かれた道を見つけとても気になっていた。団地手前の入り口を進むとその先に電柱も建っているようだったので、多少荒れてるくらいだろうと軽い気持ちで入っていった。この判断が運の尽きで戻る頃には疲労と焦燥により汗だくとなっていたのだが、今振り返ればちょっとしたハイキングにもなったし、こうしてブログのネタに活用されているのだから結果はオーライである。この下から続く画像の羅列を以て当時の思い出を供養していきたいと思う。
道路はさすがに細く、下っていくごとに不安感は増していくのだが道が舗装されているため足取りは軽い。途中に廃屋が残されていたり、伐採の準備なのだろうか、木材をブルーシートで覆っている風景にも出くわした。ここまでは楽な道のりである。
楽な道が長く続くはずもなく、舗装道はやがて土と落ち葉に覆い尽くされただの林道となっていく。所々に苔生した側溝や消火栓が見られ、その人工物を発見するたびにまだ自分が山に迷い込んでいないことを危うく言い聞かせるようになってきていた。
お分かりのとおりここまで来ると藪を掻き分けてのハイキングコースになっており、目の前に迫りくる枝、ツル、蜘蛛の巣の襲来で発狂寸前である。クマとの遭遇も考えられることから、熊鈴代わりにスマホで音楽を流しながら歩く。
頼りにしていたはずの電力柱はとっくに途絶え、人工物もまばらとなってくるが小屋のような廃屋もあった。私が歩いた限りだと犬小屋のある廃屋と、この管理小屋のような廃屋が建物としては全部であった。
同じような風景が延々と続く中、ツル性植物に侵され立ち枯れた樹々がオブジェのようになった箇所もあった。こんなものが道の真ん中にあるので、左右を誤るとそのまま遭難する危険性もある。頻繁にGoogle Mapを開き、位置補足を繰り返すことでなんとか前に進んでいることが確認できた。日は西に傾きつつある。急がなくてはならない。
陽当りが悪くツル性植物がはびこるエリアを抜けると、徐々に目の前が開けて歩きやすくなってきた。北西へ向かって上り坂となっていることから目指す出口が近いのを感じる。時折見かける人工物に勇気をもらいながら少し足を速めた。
団地側へ向かって順調に歩いていることが分かり、少しずつ周りを見る余裕が出てきた。右手に沢のような水路が見え始め、大がかりな水道設備(?)が露出してしまっている。舗装道も崩落しており、大きな台風がもう一度来れば完全に寸断されこの道をさまよい歩くのも、実は今年が最後なのではないかと思えてくる。
この沢付近の道は舗装道にも深い窪みがあったり、山側には小さな沼沢が生じていたりと水はけが異常に悪い。擁壁が苔生しているのを見ると、熱帯雨林に潜む古代遺跡のような趣すらある。放棄された開発地と見定めることができるのはこの現代だけであって数十年後、百年後に発見されたとき、それを見た人が謎の石塁として頭を抱えることになるのではないか。
出口はすぐそばにあるはずだが、草木が急に繁茂してくるせいで道が全く分からない。真っ直ぐ進んでいたつもりでもその先が沼になっていたり、開けている方が山で藪の深い方が正規ルートであったりとここが最後の関門となる。この湿地を抜けるとようやくゴールである。
今更ながら、もう少し装備を整えた上で限界ニュータウンを訪問するべきだなと考えています。